バファリンほど優しくない

突然ですが、私はよく周囲に“優しい”と言われます。


これは本当に物心ついた頃から言われていることです。



でも、私は、その言葉が嫌いです。



と言うより、私自身がその言葉を投げられること、かけられることが嫌い。が正しいです。



勿論、私にその言葉をくれる方々は、悪い意味を込めて言っているわけではないのだとは分かっています。

が、私にはどうしても、良い言葉に聞こえないのです。

もうすっかり捻くれてしまってますね。はい。



私は、小学生頃まで、好きな事ばかりを口にして生きて来ました。

それはもう、私に逆らえばいじめられると噂が広まるほど。

よほどジャイアンみたいな奴だったんでしょうね。

嫌いなら嫌い。やられたらやり返す。などなど…

それはもう暴君。


こんなことしていると、大体予想通りの展開ではありますが、

いつの日か孤立する様になります。


私はその日から、1人になることが怖くなり、人から“嫌われない人間”を目指す様になりました。



そうした人間を目指す度、私は嫌いな言葉の“優しい”をかけられるようになったのです。



私は、自分のことを優しいと思ったことなどありません。

謙遜とかではなく、本当に。



私は、単純に面倒臭いことには首を突っ込みたくないから傍観する。

面倒臭いから特に当たり障りの無い返答を返す。

そして何より、私は、私に優しくしてくれる人がいるから優しくする。優しくしている。

ただそれだけのこと。


私に害を及ぼしてくる人間であれば勿論それ相応の対応をするし、

元の性格上ですが、やられたらやり返しますし。邪険にしてくる相手には邪険に返します。



結局、私は、自身の損得、利益不利益を考えて動くような、皆が言う“優しい”とは程遠い人間なのです。



しかし、周囲からは「サメちゃんは優しすぎる」と言われます。



ただ、これを言われているだけで、なぜ嫌いなの?


ただ、自分の思いと違うからなの?


と思われる方もおられると思います。



問題は、昨日の記事にも書いたような場面でのことです。



私は、昔から上記に書いたように過ごして来た結果、

何か大きなことが起こる度「サメちゃんは優しすぎるから漬け込まれる」「サメちゃんは優しすぎるから心配」「サメちゃん、優しすぎるよ。もっと思ったこと口にしたほうがいいよ」など口にされて来ました。


その度、私は、「私は私なりに考えて行動しているので、お構いなく」と考えていましたが、

あまりにも言われすぎた結果。

「余計なお世話なんだけど」「私は自分の考えで動きたいように動きたいの。そういう風に生きてえんだわ」

と負の感情を抱く様になったのです。



なので、“優しい”と言葉をかけられる度、

上記の様なことを感じ、私は“何も考えてない馬鹿”と言われている様にしか聞こえなくなりました。


完全な私の捻くれだとは思ってはいるのですが…笑


先日、そのことで親友のナユちゃんとも少々揉めてしまいましたよ。

ナユちゃんは、私を心配して、ナユちゃんの1意見として私に、「優しすぎるから彼に騙されないか心配」と話してくれました。


しかし私は、上記の通りですが、

「は?私がそんな男にまで漬け込まれるほどの馬鹿だって思ってるわけ?そこまでお人好しじゃ無いんだけど?」

と怒りのあまり、感情的なLINEを返してしまったのです。

その後、ものすごく後悔して、泣きながら電話をかけ、なんとかお互いの誤解も解け解決したのですが。



結果。何が言いたいの?という話ですが、

“優しい”ってなんなんでしょうね?って話

私はみんなが思うほどお人好しの“優しい”人ではない。

と言うことですね。


本当に優しさってなんなんでしょうね。


私がこの言葉を言われる度に、心がギュっとなるのが消える日は来るのか

一生この言葉が嫌いなままな気もしますね…


皆さんの“優しい”とはを聞いてみたいですね。



兎にも角にも、

私は性格悪いよって話でした。

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