最近、ブログを更新しては休み、更新しては休み…
所謂、おさぼりをしていました。
と言っても、こんなブログ誰が見ているのだろう。
ただの私の日記なんて。
このブログを立ち上げた理由として“私のように原因がわからない体調不良に悩まされている人の1つの糸口に、少しでも不安を取り除けるような、安心できるような情報源に”を掲げ立ち上げたのですが、
時折、こうして書いていて不安になることがあります。
私は、私の今の状態なんかを書いていて、少しでも同じような人を安心させてあげれているのだろうか?
少しでも力になれているのだろうか?
迷い、不安になることがあります。
でも、かつての自身は、こういった、自身と同じようなことで悩んでいる人のブログや記事を読み、「私もこうしてみよう」「私にもこれが効くかもしれない」「私一人苦しんでいるのではないんだ」と感じ、助けられていました。
特に私は以前から、一人だったから。
父以外の家族、母と妹に何度訴えかけても答えてはくれない。
この病気とは、一人で戦っていかなければらなかった孤独。
はい。上記はすべて以前にも少しふれましたね。
なので、この辺にいたしましょう。
ただ、時折書いていても無意味なのではと不安になることがあります。
が、Twitterで知り合えた方が読んでくださったりと、嬉しいこともありました。
そして、共感して下さった。
不安にはなるけど、書き続けることは、他の人にも役に立つだけでなく、私自身の毒だしにもなっている気がするので続けていこうと思います。
マイペースに。
結果。こんな悩める夜もあるよね。って話でした!
さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題ですね。
タイトルの通りなのですが。
皆さんは「繊細さん」はご存じでしょうか?
今日はその「繊細さん」こと「HSP」についてお話していきたいと思います。
結論から言いますと、私は精神疾患、うつ病・自律神経失調症系です。が、それと同時に、「HSP」という事がわかりました。
「HSP」所謂「繊細さん」と呼ばれるそれは、決して病気とかではなく、「性質」なのだそうです。
私も自分自身がそうというのは最近知ったのですが、
というよりも、その「繊細さん」自体を最近知り、知っていくうちに自身がその「繊細さん」に当てはまる人間だという事に気づけました。
私はうつ病になってから、というより、謎の体調不良になってからもうすでにそうでしたが、よくインターネットやYouTubeで体調不良の原因や、こういった症状の時はどうしたらいいのかという答えを求めていろいろと検索しては動画を見ていたりしていました、するとある日、あなたのおすすめの欄に出てきたのが「HSP」についての動画でした。
その動画はHSPの人に現れる症状5選のような短い動画でした。
何気なく見たそれに、「あれ?私も当てはまることが多いな」と感じ、そこから「HSP」について調べていきました。
そこで段々調べていくうちにたどり着いたのが、オリラジのあっちゃんさんが公開していた動画で「HSP」についての解説動画。
その動画で紹介していた本に興味を持ち、購入し読んでみると、本当に驚くほど私に該当するする。本当に驚きでした。
↓そのあっちゃんさんの動画がこちら
しかし、それと同時に、
私が幼少期から感じていたものたちや、考え方などのすべて、私が「普通じゃないのでは?」と不安になり考え込んだ行動、その全てがこの「HSP」という性質によるものだったのだと、スッキリしました。
しかし、さらに同時に感じるのは、私を普通じゃないと扱ってきた家族への疑問。
その頃はこうした「HSP」というものも知られていなかったのだから仕方のないことと言えばそうでしかないのですが…
どこか感じてしまう。不満、と疑問。
どうして理解してくれなかったのか?
どうして私の感性を、私の考えを逆に考えてくれなかったのか?
結局私は、毎回。
この“理解をしてもらえなかった”というショックに縛り付けられているのです。いつまでも。
しょうもないですね。
「繊細さん」の本にも書いてありました、
繊細さんと非・繊細さんではそもそも感じ方が違う、感性が違う為“どうして理解してくれないの?”と考えるのはあまりベストではないと…
そう。頭の中では理解していても、私は、この本の通り、理解してくれることは無理だ、じゃあ口に出して伝えないといけないんだ!とこの本にも書いてある通り、何度も泣いて口にし、母と妹という唯一の拠り所に訴えかけてきました。
でも、伝わらなかった。
あの時の無力感・虚無感・絶望感は忘れられません。
今は、母も妹も私のために本を読んで勉強をしてくれようとしているみたいですが、
やはり、私のどこかにはまだ、恐怖感が残っているのです。
口にして訴えても変らない、変えられない、助けてもらえない恐怖が。
そして、頭の中をめぐるのです。
上記に書いた通り、何度も“どうして理解してくれなかったの?”“理解してくれていれば私は…”などの数々の疑問・不満が。
しかし、「繊細さん」の本に書いてあったとおり、私のような繊細さんと呼ばれる人間と、非・繊細さんたちは違うのだと、少しでも頭に理解させていけたらなと思いました。
少しでも、怒りの、不満の矛先を過去から遠ざけようと、努力していきたいと思います。
皆さんは、理解してくれる人がいるとしたら本当に恵まれています。大切にしてください。
私のように一人で戦っている方。
私がいます。
私のような人間もいます。私が仲間です。
こんなやつですが、一緒に生きていきましょう。
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