私は『誰からも好かれる人』になりたかった

今日は、Twitterにて仲良くして下さっている方とのやり取りの中で思い出した、自身が“嫌われること”を恐れて、代わりにタイトルの通り『誰からも好かれる人』になった理由を、私自身の中での整理も兼ねて書き上げていきたいと思います。



まず私は幼少期、これは前々から話していますが父が嫌いでした。というより、恐怖の対象でした。

特に手を上げるとかそういった事があったわけではありませんが、物心ついてからというもの、口を利けるようになるまでに何年もかかるほどには怖かったのです。

そうした環境で育った私は家にいることがストレスだったのだと思います。今思うと。

汚い話ではありますが、私には幼少期、爪を噛み切るという癖がありました。

大きくなった今、それはストレスを抱えている人間に多く見られる行動なのだと知りました。

今ではそのせいで、父親似で綺麗と褒められていたはずの爪の形が変なアサリみたいな形になりとっても後悔していますが。笑


そんな、家にいることがストレスだった私にとって、学校は唯一自分自身をありのままに開放できる場だったのです。

私は妹が一人いる姉妹なのですが、妹ができてからというもの、母にも自覚がなかったらしいのですが、親から構ってもらう事が減りました。それは長女や長男、1番上の子の使命なのかもしれませんね。

父は勿論論外ですよ。口をきいてないのですから。特にですね。

つまり、私は、親から何かを教えてもらう。学ぶことが減ったわけです。

周囲の子たちは、兄・姉たちがいることが多く、自身でお手本から学べたのだと思いますが、私にはそれもできず。

所謂バカだったのです。周囲に比べて。


勉強は出来ましたよ。一応。負けず嫌いではあったので。


その他の部分。人間として浅はかで、バカでした。



きちんと、ハッキリとそのことが残っているのは小学校4年生くらいの出来事ですかね。

ある日耳にしたのです。

“私に逆らうといじめられる”

という言葉を。


私、サメさん。

その通りの人間でした。


いや、きちんと言うと、私にいじめていたという自覚はなかったのです。

完全にいじめっ子のセリフですね。笑


でも、本当です。


私は、バカだったので。

なんでも、『嫌なことは嫌』『嫌いな子は嫌い』『やられたら勿論やりかえす』といった事を悪気なくやってきました。

そのおかげで、先生には言うことを聞かない悪ガキと思われていたでしょうし、私に嫌いと言われた子たちは傷ついていたでしょう。

でも、それが悪いことと思っていなかったのです。


そうしているうちに、いつの間にか上記のような噂が広まっていきました。


小学生の頃とかって、1人が嫌いと言い出すと同調して、周りも嫌いだしたりするっていう謎の一体感ってあったじゃないですか?

それの始まりが大体私なわけですよ。嫌いな子に嫌いと言っているわけですからね。

そして、私が嫌いといった子はいつの間にか増えている“その子を嫌い集団”に避けられるわけです。

何故かその中心は私という…なんという不名誉なリーダー。


そうしていくうちに、私は、今でいうスクールカースト?というやつではトップに君臨していたわけです。


不名誉なんですよ。こんなトップ。絶対いらなかったよね。と今では思ってしまいますが、

その頃の私は違いました。


気付いてしまったのです。


この位置にいれば、絶対自分がいじめられることはない。

安全なポジションだと。


そして、勘違いをしてしまったのです。


私は思ったことを口にし、行動しているだけだ。

私は悪くない。と



小学校最後まで、こうして生きてきました。

家では無い居場所が、この学校ではある。

家では薄い存在感が、この学校ではありすぎる程ある。

家では父により主張できない感情が、この学校では誰にも止められずに主張できる。

まるで自分の思い通りの世界のようでした。



その世界も、勿論そんな夢のような時間、長く続くわけもなく…


小学生最後。6年生になった際。

自身に跳ね返ってきました。きちんと。

それも倍返しでね。


今度は私がいじめられる側になったのです。

私の周りには誰もいませんでした。

このブログで書いている親友のナユちゃんも同じクラスでしたが、私の次のトップたちにとられ、こちらを気にはしてくれていましたが、助けられはしませんでした。今のナユちゃんの強さなら間違いなく助けてくれたでしょうね。

あの頃は2人とも弱かったのだと思います。


そして私は、頂点から一気にどん底まで転落したのです。


私の周りには、その噂からではありますが、常に周りに人がいました。おそらく私についていればいじめられない。私といれば一人にならない。などいろんな理由でではあると思いますが、とにかく私は小学校で1人になることがなかったのです。


そんな私が初めて1人になったというショックは信じられない程で、私はそのショックのあまり不登校になりました。

そして、小学生にして『慢性疲労症候群』と診断され、小児科に入院をしたのです。


そこからのトラウマは凄かったです。


中学校でもバカだった私は、またトップに君臨すればあの頃のようにやり直せると思って再スタートを切ったのですが、

勿論、成長した周りにそれが通用するはずもなく、私は今度はただのバカになったのです。

1人になることはなかったですが、一緒に居たいと思っていた友人には嫌われ距離をおかれたりと、本当に今考えても完全な私の黒歴史ですね。

唯一の救いは、周囲が大人で、私のこのクソガキ具合も時が経つにつれて許してくれたりと、優しかったということですね。

中学校では、もう1人になりたくないと恐怖にもがく人生でした。


高校もそうですね。

バカさもそんなに変わらなかったし、1人になるのが怖いあまりだったとは思いますが、クラスの中心に居たいとやはりもがき足搔いてしまうクソバカでしたね。

専門学校では、まあまあ学び普通に過ごしていた気がします。はい。

学生人生の中では、1番まともに生きていた時期でしたね。

まあ、色々あったりはしましたが…



そんなこんなで、私は、小学生時代に味わった転落のショックで、嫌われないようにしよう。

『誰からも好かれる人』になろうと考えたのでした。


まあ、一応、中高と反省点はたくさんあるので専門学生時代から社会人になってからは、そんなカーストとかでマウントをとらなくてはとか幼稚な考えはなくなり、むしろ、元のめんどくさがりの性格が影響もし、面倒ごとにはなるべく巻き込まれないように、流れに身を任せ、返答は無難に、言われたことはその通りに。“真面目”な人間と間違った評価をされながらも気にせず、とにかく面倒に巻き込まれないようにだけ気を付けた生活を送るようになりました。

特にこれは1番始めの会社での生き方ですね。

本当に職員の年齢層も幅広く、個性も強い人が沢山で、その人たち全員にいい顔をしてとにかくひたすらに嫌われないようにしていました。

唯一心を開けたイガさんと先輩たちは別として。

その他大勢の個性の塊たちには、仮面をかぶって、猫をかぶって、自分を偽って過ごしてましたね。


でも、そんな大勢の人間皆に好かれることなんて無理なんですよね。本当は。


そこには3年勤めましたが、後半。

疲れが出てきて、体調も徐々に崩し、それでもいい人を演じた代償に大きな仕事を押し付けられるようになり、断れず体調はさらに悪化。

もう辞めると決意してからは、早かったですね。

小学校時代のように、もうありのままの自分で。

言いたいことは言い、やりたいようにやり、しかしあの頃と違い、ありのままの自分でいるだけ。

あくまでも自分自身を、自分らしさを取り戻して、それを開けっ広げにし仕事も人間関係もやり遂げました。

自分のために。


そして、辞めるのを何度も止められました。

私のことを『優しい』『優しすぎる』といった人間たちから情に訴えかけてこられ止められましたが、自分自身の体調のことを一番に考え、退職したのです。



退職の経緯まで話してしまいましたね。


しかし、今回言いたいのは私がどうして『いい人』『優しすぎる人』『誰からも好かれる人』を目指していたか、今も時折立ち止まってトラウマに足止めされてしまうかをお話ししました。



皆さんは、私のように、無理に『誰からも好かれる人』を演じようとしないでくださいね。

疲れますし。

なにより、うつ病になってみて気づいたことですが、

自分らしく生きることの方が1番大切ですからね。


私は最近嫌われるのが怖くなったら、その相手をジャックオランタンだと思うか、心の中でアバダケタブラするかクルーシオしながら接しています。

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